(IT) 「ビリオンダラー・コード」を観た

Netflixで「ビリオンダラー・コード」というのを観てしまい、なんだかゾワゾワしたのボケる前に覚えてることを書いておこうかと思ったりした。
ネタバレ覚悟で書いておくと、全4エピソードのこのシリーズは1995年にベルリンでArt+Com社がSGI(シリコングラフィックス)社のコンピューター上で動作させたTerravisionというソフトウエアのアイディアをパクってGoogle社が2005年にGoogle Earthを作ったんじゃねーの疑惑の裁判を2014年にやったという話。
なんでオレがゾワゾワしたかと自分で考えてみたが、理由は多分以下の3点。
(1)オレがソフトウエア開発の会社は設立したのは1997年。ソフトウエアとインターネットで「何かができるんじゃないか」と皆んなが考えてたいわゆるネットバブル(ドットコムバブル)の頃。言い換えればそれで一攫千金な可能性があると思ってた頃とドンピシャな時代背景。
(2)大企業に提案してた企画をパクられたけど、どうにもならなかった経験がある。(この作品の話からすれば何桁も小さい話だが)
(3)1990年代後半から2000年代にかけて喧嘩をしながら会社をやってた戦友を亡くしていること(作品では戦友は最後に仲直りしてる)

1つ目。
この作品の中でも他の多くの作品で扱われているように、「マウスというデバイスはXEROXが発明したけど、結局使い道を思いつかなくて、ジョブスが二束三文で買ってMacで使って大儲けした」ってエピソードがモチーフとして使われている。最初に作り出した者(会社)がその価値をお金に換えられないケースが多いというモチーフだ。ご存知ない方に白状しておくと、オレが1990年に新卒で入社した会社は今はなき富士ゼロックスだったりする。マウスの話はこの時代のIT関係の伝説を描いた作品で多用されているので、見てみてほしい。学部卒は同期の院卒の給与を超えることがないという人事制度だった富士ゼロックス(今は違うらしいw)を5年で辞め、1社経由のあと、会社を始めたのがちょうどこの作品で書かれている1990年代後半。
そして、ITやらソフトウエア(プログラム)で何かができるかもしれない、と勝手にイキっていた当時のそれっぽい業界の一部では、「Webサイトを作る」なんてことは「金のために時間と魂を売ること」と同義だった。今と違ってWebサイトにできることは静的なコンテンツ(会社案内とか)を表示するだけで、買い物ができたり、blogを書いたり、ユーザー同士がコミュニケーションしたり(SNS)なんてことはできなかった。「Webサイトを作る」ことは当時は「ちょっと流行ってて金にはなるけど、つまらない仕事」だから、当時のオレの会社もWeb制作は絶対に請けなかった(当然、後悔した)。そんな当時のオレたちの言葉を代弁したのがこれ笑。

2つ目。
大企業は息をするように零細企業のアイディアをパクってバックレる話。
i-modeの出始めの2000年に発売された富士通製のドコモの携帯電話F209iはドコモのi-modeの最初の端末だった。メールが使えて簡単なwebサイトの表示もしたのかな。で、メール(いわゆるインターネットのメール)がわからないユーザーが多いかもしれないので、ちょっとゲームっぽい要素を加えたメールアプリを入れたいってことで「きゃらいふ」というキャラクター要素を入れたメール送受信アプリを提案して、企画と開発を当時の会社で請け負った。発足したての会社にしては、上出来な案件だったし、受注した時は嬉しかったことを覚えている。デザイナが指が4本の怪獣キャラクターを描いたらら、ドコモから「とある方面からクレームが来る可能性があるので指は5本で」とクレームがあって、全キャラの指(手も脚もw)は5本にしたりした。今でもそうなの?>ドコモ笑。
で、209の開発終盤、次機種(F503i)に向けた企画提案のチャンスがあった。F503iには歩数計が搭載されるということで、東海道五十三次を踏破するアプリを企画提案していたが、「不採用でした」という連絡をもらっていた。なので、富士通との取引はそれ限り。正副2枚のCD-ROMに指定のラベルを貼り、中原の工場ので納品(検収)の後、購買部門で手形渡されたけど、それはそれは屈辱的な扱いを受けた上だった。

  • 例1)当時カタカナ5文字の造語の社名だったため、「当社はオウム真理教及び他の新興宗教団体との資本関係も取引関係もありません」という誓約書を提出させられた。
  • 例2)納品したバイナリのほとんどはキャラクタの画像だったが、そのサイズからC言語のプログラムのステップ数(コードの行数)を逆算され、バグの発見数と収束曲線を指示され納品書に書くように指示された。(要するにデタラメな表とグラフを書かされた)
  • 例3)算出されたプログラムのステップ数からプログラマの工数が計算され、請求金額の妥当性(富士通の設定したプログラマの単価よりも低いこと)を書かされたが、月額単価、一桁万円だった。
  • 例4)この案件の支払いは90日手形だった。ソフトウエア開発で90日とか手形とかある?平成だよ?w。支払を手形で受けたのは一生の中でこの案件だけ。

まあ、今となっては屈辱に感じず、まあ大企業さんもしかたないのね、とは思うけど、当時の鼻息の荒いベンチャー企業(と自負していたあの頃)としては、大企業と付き合うことの不条理を感じた取引だった。しばらくして富士通製の携帯電話のいくつかの機種でオレたちが提案してた東海道五十三次を歩くアプリがオリジナルとして搭載されているのを知り愕然としたが、当時のオレたちには自分たちの知的財産権を主張し、富士通から賠償金を得る知恵も金もなかったことをフツフツと思い出したりもした。もう20年以上前の話だし、NDA失効してるんで実名記載。文句があるなら受けて立つぞ笑

3つ目。
前述の会社ではオレは社長兼営業だったわけだが、開発責任者をしてた夏目さんという人がいた。彼がいたからその会社は成立していた。アセンブラもCもやったしJavaが好きだった。phpは悪魔の言語として嫌っていたが、ショウバイのために開発もしてもらった。最初にコンビでやった仕事はバンダイさんからもらったたまごっちシリーズの続編の「たまおっち」(1997)。アセンブラだった。会社のオーナーのおかげで中村玉緒さんの権利をクリアして企画提案した案件だったので、やらせてもらえた。その後もワンダースワンのアプリを開発したり、前述の富士通製携帯向けのアプリを作ったり、デジタル放送のコンテツ開発(BML)なんかを一緒にやっていたわけだが、当然、経営と開発という対峙する立場でたくさん喧嘩もしていた。そんな中でオレが途中離脱をしてしまい、結局夏目さんは社長兼開発責任者としてオレが辞めた後10年以上その会社を守ってきていた。夏目さんは10年以上激務を続け、2017年に大動脈解離で亡くなってしまった。この作品では裁判を進めていく中で主要登場人物の二人は最後に和解するが、オレはもう和解する相手がいないんだな、と思い出して勝手に泣いてた。わだかまりや、誤解があったとは思ってないけど、勝手に離脱していった負い目はもう、晴らす日が来ないわけだが、それは全部オレの責任。

Googleで検索して、なかなかいい検索結果にはたどり着けなかったけど、どうもこの裁判はTerraVision社が出願した日より前に同様の特許を出願していた会社が存在してたからArt+Com社の特許が無効になって裁判が終わったらしい。100年ぶりにYahoo!で検索した
インターネットで何かを成して、自分でも何かすごいことができると思ってた頃があったけど、今となっては、普通の老害おじさんになってるわけで夢があったあの頃のことを懐かしく思い出したりした。
という個人的背景もあって、大変楽しく観ましたよ、という話。
あ、作成秘話も公開されているので、併せて観ておくべき。

p.s.
映画化のお話をお待ちしておりますが、知的財産についてはゲフンゲフン笑

(時事) コロナ禍での親戚づきあいを考える

いろんな考えはあるだろうけど、会いたい気持ちと来てくれて嬉しい気持ちは優先してもいいかも、という話。
プライベートな情報を含む話題にて、ぼやかしてる表現が多くて分かりづらい点が多いことは事前にお詫びさせて頂くとして。
両親ともに石川県金沢市出身なので、オレの親戚は金沢に集中している。

その中で母の妹(叔母)の体調が悪いとの情報をキャッチ。今日明日死んじゃうわけじゃないけど、余命を短くする可能性が高いとのこと。
そういう時に、都会にいる親族連中は「行くな」しか言わない。来られた方は迷惑だろうし、どこに泊まる?とか、ご飯どうする?とかで面倒くさい話がちょいちょいあるわけで。まあ、それはそれで間違ってはいないかもしれない。というか、お互い気をつかうわなあ。昭和の頃からの親戚つきあいってそんなもんかもしれない。でも行ってきた。アポなし。まあ、新幹線で3時間弱だし、果てしなく遠い距離ではない。目的の人に会えなくても金沢でうまいもん食えばいいしな、的な感覚にて。
従兄弟仲間でLINEグループ作って事前の根回しとか、ちょっとしたサプライズ企画もしたし、便利なツールを活用したわな。
結果的には会いたかった人には会えたし、多分、喜んでもらったとは思う。
実際に同じ場所にいて言葉を交わすことの重要性は、ネットミーティングがスタンダードになった今でも変わってないし、逆に重要というか大切だとも思う。
でもね、いくらコロナ禍だからっていって、今会っておかないと、葬式の写真の中でしか会えなくなる人に対してどう付き合うかってだれか正解持ってるのかしら。
誰とも会わず、濃厚接触をせず、家族や親戚とも会わずに命を永らえることと、お互いに歳を重ねた親族と会って、万が一何かに感染して治療を受ける必要が出てくることのメリットとリスクをトレードオフした時にどっちがハッピーか?という問題には答えはないのかもしれない。なんとか株だからどう、とか、みんな本当に理解して対応してんの?と思う。
当然、ショートステイに来る老人が県外からの来訪者と会っていたことによって施設でクラスターが発生するリスクがあるのは理解はしているつもり。
「リスクマネジメント」の観点から言えば、全てのリスクを排除することは、コスパの面で妥当性がないことは明らかで、ある程度のリスクは許容することによって、適切なリスクマネジメントがなされるということはロジックがあるわけだが、今のコロナに関するリスクマネジメントはあまりにもロジカルでないし、サイエンスがないと感じている。コロナ禍だからといってヒステリックになるのではなく、冷静にリスクマネジメントをした上でQOL(Quality Of Life)を考えることが全体の幸福量が増えるんじゃないかなあ。サイエンス不在はお互い様ってことで。
偉そうな事はこれくらいにしておいて、果たして今回お見舞いに行った年寄りは総じて喜んでくれていたように思うのは前述の通り。ついでに他の親戚にも会いに行ったけど、ガラス越しにしか対面できなかった人もいれば、15分以内に風通しのいい玄関だけでという人もいた。でもね、迷惑そうにされた感覚は1mmもなかった。当方が鈍感なだけかもしれないが。
コロナ禍になって、もともと存在していた意識や感覚の差が顕在化して、分断が進んだようにも感じている。しかし、許容される範囲の中で最大限の愛情表現をすることは決して批難されることではないと思った。いろんな制限があるかとは思うが、会いたい人には会いに行くことは悪いことじゃないと思った次第。反論はお伺いします。

<<<後日追記(2022.2.2)>>>
1月8日にサプライズ訪問して、比較的元気な様子で談笑し、1月25日にはお礼の手紙が従兄弟達に到着したばかりだったが、2月1日に叔母は急逝した。悲しいとか驚いたとかより、あの日行っておいてよかったというのが正直な感想。残ってる動画では本当にうれしそうにしてくれてる叔母ちゃんが笑ってるので、まだ、まったく実感ないけどな。
改めて、会わないことの安全さと残念さ、会うことの嬉しさとリスクのトレードオフだと思ったし、正解がない中なので、故人の考えを優先することも、誰も責められないと思った。叔母ちゃんの冥福を心から祈ってます。

(お父さん) 新しいアイホンの進化に驚いた

さあ、良い子の皆さんはもう、実家のエアコンの掃除は済ませたかな?笑
そしたら次は玄関ソリューションの改善だ。
需要があってインターホンをAmazonで探してたらなんと配線工事不要のアイホン出てたよ。

アイホン ワイヤレステレビドアホン WL-11

屋外スイッチは乾電池駆動、屋内側の受信機は専用バッテリー+充電台で電源の配線不要で、無線通信だから音声の配線も不要。完全ワイヤレスに進化しているじゃないかー。
オートロックのマンションに住んでるセレブな人たちはここでさようなら。築30年オーバーの古い「ピンポン」でまだ生活しているじじばばが親族にいる人にはきっと朗報。
最近では、カメラ付きのインターホンが出てきているのは、ホームセンターなんかでチラ見している人も多いと思うが、配線が面倒くさいだろうなあ、と思って見て見ぬふりをしてた人も多いはず。大きく分けて古い家のピンポンには2種類あって、コンセントに来ているのと同じ100Vの電源を使っているタイプと、室内側のチャイムのところに乾電池を入れるので100Vが来てないタイプ。
今回は後者の乾電池ピンポンの交換がメインのターゲット。前者の100Vタイプでも、ちゃんと絶縁してショートしないようにできるならチャレンジする価値はあるが、それは自己責任にて。

屋外にあるスイッチを除去。

配線は屋内の乾電池のピンポンボックスに行ってるだけで電圧は来てないけど、一応ビニテで絶縁だけしておいた。
新しいアイホンのフレームの取り付け穴の位置が旧スイッチを固定していたタッピングの位置とばっちり同じだったので、そのまま流用してフレームを設置して本体をはめ込んで固定してできあがり。工事時間10分弱だ。

室内側の受信機にモニターがついてて、外の様子もわかるし、受信機を横にすると、ちゃんと横長画像が常時されるという無駄に機能が充実しててスゴイ笑

逆光補正機能もあるし、録画機能もあるので、不在時にピンポン押した人の動画が保存されてて帰宅時に見られるようになってる。電波は100m届くと書いてあるので、そこそこの豪邸でも大丈夫だぞ、これ笑。
新しいアイホンはワイヤレスで取り付けが超絶カンタン、機能満載でまじオススメ。
ご近所で使っても混信しない仕組みをどう実装しているかまでは不明だけど、検証するチャンスがなさそう。

(お父さん) 勝手に掃除エアコンも掃除すべき

最近のエアコンは「自分で勝手に掃除してくれて手間なし!」が売りの製品が多いと思われる。でも、これ、掃除して出たホコリやゴミが手品のように雲散霧消するわけもなく、何かしらのお手入れ必要なはずだ。勝手に床掃除をしてくれるルンバだってゴミの処理は必要でしょ。それと同じ。

「まったく何もしなくていい」ってのは、ただの思いこみと思った方がいい。

まずは説明書をよく読んで!
ちなみにウチが使ってるエアコンは2014年製の白くまくん(日立)だが、お手入れサイクルは1年と書かれていた。

みんなちゃんと年に1回掃除してる?
そして、気にした方がいいのは年寄りの家のエアコン。
恥ずかしながら、オレの実家のエアコンもこの「勝手に掃除」エアコンだったんだけど、7年くらい何もしなかったら、当たり前にゴミが詰まって壊れたわけで。「つい最近買ったから保証期間内だろ」といって2~3年前に買ったみたいな言い方してるから保証書で確認したら、実は買ってから7年以上経過してたというオチ。年寄りは時間の流れがおかしくなってるので、10年未満の話は全部「つい最近」って思ってるから注意した方がいい。
さらに追い打ちをかけると、2021年の今、資材不足で故障した場合の修理部品が品薄で修理ができなかったり、買い換える場合でも商品が不足していて納期がかかる可能性もあって、寒いなかエアコンが使えない、なんてことになるかもしれない。
だから、今年の年末年始、自分の家のエアコンもちゃんと掃除した方がいいし、コロナも落ち着いたからということで年寄りの家に行くチャンスがあるなら、エアコンの掃除して孝行してあげたほうがいい(おせっかい爺)

実際に「勝手に掃除エアコン」がどれくらい汚れているのか、チェックしてみた。
(このあと、バッチイ写真が多いので、そういうのに弱い人はここでスクロールを止めておいたほういいよ)

ちなみにこのエアコンは春先の冷房運転開始前に一度掃除したので、だいたい半年間での汚れ。
まずはフロントパネルを外してフィルタも外したあとの様子。フレームにホコリが着いているのがわかる。

外したフィルタもピッカピカなわけではなくて、うっすらとホコリがついていることがわかる。手前が水洗い前、奥が水洗いした後。勝手に掃除機能でもピッカピカになるわけじゃないことがわかる。もっと新しい製品だと性能がよくなってるかもしれないけどさ。

そして問題のホコリキャッチャー(ダストボックス)。外して中身を確認したら、半分くらいまでホコリが溜まってたから、1年に1回掃除が推奨されているのは納得がいく感じ。まあ、このゴミはある程度圧縮されていくことも可能なので、1年で満タンというわけでもなさそうだけど、感覚的にはオフィスのシュレッダーの「切りくずいっぱい」ランプがついた時にギューッと圧縮する感じで、ゴミが詰めていくことは可能と予測。

そして本体も、フィルタ掃除機能でカバーできない部分は普通に汚れているので、掃除機付属のアタッチメントを活用して付着したホコリを掃除。目の付け所がSHARPな掃除機。

アタッチメントが届く範囲で掃除してとれたゴミがこれくらい。

いくら「勝手に掃除」とはいっても、フィルタに限った話であって、フィルタ以外の本体部分まで掃除してくれるわけじゃないわけだから、半年でもそこそこ汚れるってことかと。最近では本体を掃除してくれる機種もあるらしいけど。

そんなわけで、「勝手に掃除」エアコンは、エアフィルタの掃除の間隔が長くなるだけで、「一生掃除しなくていい」エアコンじゃないってことを理解した方がいい、って話。大切なことは、
説 明 書 を よ く 読 む 。

(時事) 緊急度と重要度

なかなかいいネタがなくてblogの更新が滞りがちだったが、最近じんわり考えていることを書いておく。
もうね、自分に振られたタスクの重要度と緊急度を考えてプライオリティをつけろ、なんて話はいろんな本に書いてあるだろうし、いろんな研修で教わるからみんな頭ではわかってるんだろうけど、どうしても人間ってーのは緊急度の高いタスク(話題)に引っ張られて(注意が行ってしまって)、重要度が高いにもかかわらず放置されているタスク(話題)がどうしても多くなる。だから重要度の方を意識すべきだよねーということを学ぶチャンスはいくらでもあったはず。
しかし、多くの人々(オレも当然含まれる)はぼーっと生きてるので、緊急度の高いネタをクリアしたら、あとはぼーっとしてるだけだ。
喉元過ぎれば、なんとかの法則だ。
だけど、ある日、重要な問題が顕在化した時、それまでこなしてきた緊急度の高い問題と同じように小手先で解決しようとしてしまうが、当然解決などするわけもなく、キーーーーってなってる日本人のなんと多いことか。あ、日本人に限らないのか。
皇族の女性が結婚相手を決めるプロセスだったり、国会議員が経費としてもらうお金のことだったり、コロナに対する国の政策決定のプロセスだったり。
結果として、トンビが油揚げをさらっていくし、日割りだけど領収書不要みたいな100点満点でいえば2点みたいな改革(微修正)があったり、現場感のない3回目摂取が決まったりするだけ。
重要ではあったにもかかわらず、「まあ、明日困ることじゃないから」と言って放置されてきた物事の緊急度がちょっとあがっただけで急に騒ぎ始める。そしてどれもこれも「昨日今日始まったことじゃないから」って言って直せない理由をこじつけて、結局、重要なタスク(問題)が結果として放置され続けてる。どうなってるんだ、ニッポン。
みずほ銀行のシステム障害の問題は顕著だけど、これに相似した大企業のお粗末事案は身近にもたくさんあって、ため息をつくばかり。だから、自分ができる範囲で重要度の高いテーマへの注目と解決への着手はしようと思う。当然、皇族の問題にも国会議員の問題にも国策にも影響を与えられる行動はできないけれど、手が出せる重要度の高い課題は看過せず、目を向け、対応していなかいといけないと思う次第。あ、政治家にはならないよん笑。