(介護) 老いた親による捜索依頼

今日本当にあった話。
学生時代からのツレの一人が今いる現場はセキュリティが厳しくて、私物携帯の持ち込みが制限されている。彼がその現場にいるタイミングで80歳オーバーのお母さんさんのPCのメーラが起動しなくなる。お母さんはメールができないので、息子の携帯に電話する。すると「圏外です」と言われる。お母さん焦る、お父さんに言う、お父さん、電話やメールしてみるが、返事がない。もう、もともとのお母さんの話題は飛んでしまって、息子大丈夫か?の方が問題になってしまう。昔、息子から知らされたツレの携帯に電話かける、連絡先のひとつだった番号はオレの前職の番号w。
電話を受けた後任者がヤバいと思ってオレにメッセージしてくる、みたいな連鎖。だって、やたら心配したお父さんからの電話だからな。オレと思ってその番号に電話かかって来る時ってだいたい悪い知らせだという実績もあり。そのタイミングではお母さんの命に関わる重大事かも?的なニュアンス。おい、あいつ、息してるか?twitterの投稿は19時間前。まじか。仲間総動員して連絡する。あっさりつながる。えっ?

お母さん、PC再起動で復旧。
それはそれでよかったし、お父さんお母さんには罪はないし、むしろ心配するのは当然のこと。

しかし、探される身や連絡を受ける身としてみると、こんなアラートで神経すりへらしたくない。
とわいえ、明日は我が身。実家の両親へ適切な連絡先とプライオリティを告知しておかないといけないな、と感じた次第。
携帯やら連絡手段が確立された今、ちょっとでも連絡がとれない時の騒ぎ方がちょっと過剰かなとも思う。
そして、認知症ぎみな老人達のアラートの上げ方の雑さがアレ。

(Run) フルマラソンに復帰

6年ぶり2回目のフルマラソンにチャレンジ。
第13回湘南国際マラソンに出場した。
前回があまりにもつらかったので、フルはもうやめようと思っていた。

毎週土曜日に根岸森林公園でトレーニングしているTM-CLUBの仲間から追加募集のスケジュールを聞いてしまったのがきっかけ。
12月2日の本番に向け、11月は30kmを2回チャレンジ。

1回目は完走、2回目は25kmでリタイヤという微妙な結果。
とはいえ、レース5日前くらいからご飯をもりもり食べ、ビールを減らし。
パイセン達のアドバイスをもらい、レース中に摂取するジェルを準備したり。

当日朝は、混み合うことが予測される大磯を避けて二宮駅へ。
そこからシャトルバスに乗ってスムーズにスタート地点へ。
新卒時の同期のはらぼーと会えて、お互いの目標を共有。
彼はサブ4、俺はサブ4.5。

ギリギリまで着替えずに待って、スタート30分前の8時半近くなってから、着替え。暑く感じるのが苦手なので、少々寒くても上々、ってことで、当日のウエアは長袖Tシャツ+チームユニフォーム+短パン。

あったかインナーは着ないことにしてたので、スタート時の寒さ対策でゴミ袋に穴を開けたポンチョを持参して着用。
スタート前のトイレは過去のこの大会に何回か出場していた新卒同期のツレのアドバイスでスタート直前のバスターミナルのトイレへ。
おかげで行列はゼロ。

9時18分過ぎにスタート地点を通過。そこからランニングスタート。
とにかく、抑えて、抑えて、行こうと決めていたので、平塚を通過するまではキロ6分以上かけることにしてた。最初の10kmは1時間ちょっとという想定通りのタイムで通過。少し温まってきて、楽に走って20kmまでは1時間ちょうどのラップ。折返しの前後でTM-CLUBの仲間が「シラオさーん!がんばってー!」と応援してくれる。


名前を呼んで応援してもらえるシアワセ、そして、それによる湧き出る元気と笑顔。ああ、孤独じゃないんだ、と思った時、本当にうれしかった。応援に来てくれた皆さん、本当にありがとう。

江ノ島で折り返して30kmを超えたあたりからは、いつ体調が変るか、脚が痛くなるか、トイレへ行きたくなるか、本当にヒヤヒヤしていたが、大きく崩れることはなく、なんとかペースを守って走れた。

35kmを超え、脚がピクピクしてきて、西湘バイパスに入ったころ。
周囲には歩く人が増えてきた。ああ、俺も脚もお尻も痛いなあ、ここまで来られたから、ちょっと歩いてもいいかもなーと思ってたタイミングで再度、名前を呼んで応援してもらった。これはずるい。
ロングビーチを抜けたところで、TM-CLUBの仲間が応援してくれた。
もう歩けない(笑)

40kmの最後の折返しで脚がつってたけど、なんとか歩かず走り続け、
最後はスパートもできずにゴール。4時間26分くらい。

目標だった4.5時間を切れたので、本当にうれしい。
マラソンも、名前を呼んで応援してもらえると、孤独感なく、楽しく走れることがわかった。
これからは、積極的に応援に行こうと思った。
(走る気は相変わらずあんまりない笑)
つらかったけど、本当に楽しかった。みんな、ありがとう。

(IT) Ichigo-Jamを作ってみた

仕事関連の会食で教えてもらったIchigo-Jamを作ってみた。
$15というか1500円ということでイチゴなんだそうだ。
子供たちにPCとは何かとか、プログラミングの初歩を教える教材。
自分でICチップ、抵抗、コンデンサ、LED、コネクタを小さなボードに
自分でハンダづけして、完成したら、キーボードとテレビをつなく。
PCモニタではなくて、テレビ。

会食の帰り道、電車の中でAmazonで発見してポチっと購入。

だいたいにおいて、オレの場合、よく調べずに買う。今回もちょっと失敗。
オレがポチったのは、基本的なセット。これは、指先に乗ってしまうような
ICチップを基盤にハンダづけしないといけなくて、これはさすがに無理でしょ。
ICチップだけはハンダづけしてあるこっちのハーフキットがおすすめ。

そんなことは事前には調べず、友達の心配を無視して、作業開始。
ハンダづけは一応、心得といか、経験はあるわけで。

「なんだよー、いうほど大変じゃないじゃん」と思いつつ手順通り組み付けていくと、
ICチップの手順でぱったり手が止まる。このサイズのハンダ付けは無理だよ。

facebookで「無理ー」って書いたら、キヤノンとかSONYとかIBMとか
ゼロックスとかのエンジニア各氏が「ビヤーってハンダ流せばいけるよ」と
囁いたけど、騙されないよ、オレは。
九州のT氏の情報でコアキットがあるとのこと。
そういえば、今日の夕方飲むはずの静岡のよっちゃんが亀戸から横浜へ移動する
はずだな、と思ってメッセージでお願いしてみる。
「秋葉原の秋月でこれ買ってきて」
無茶なお願いだったが、なんと本当に買ってきてくれた。

飲み会で受け取ってAmazonプライムより速く入手できたよ。
お友達ネットワークに感謝でござるよ。

さすがに飲んだあと細かいハンダづけはできないので、翌朝作業再開。
ICソケットをハンダづけして、昨日受け取ったコアを差し込む。
電源、キーボード、テレビをつないで電源on!
見事に一発でBASICが立ち上がった。

ああ、こんなことを小学生たちとやりたいなあ、と思うものの、そんなチャンスが
あるわけもなく。孫が産まれて、BASICを理解するのを待つのみか?(笑)
もし、ハンダづけからプログラミングのイベントがあったら、サポートスタッフで
呼んでください。コンピューターの楽しさを教えてあげたいなあ。

(お父さん) ミスを繰り返さないために

仕事で、何か不具合が発生して、原因が同僚のミスだった時、そのミスを即刻修正して(=パッチをあてて)それでおしまいにしようとする人がいる。若い人にその傾向が強いように思うが、若くない人でもそういう人がいる。
しかし、オレは、そんなことをして欲しいわけじゃない。

ミスが起きた原因をしっかりと究明して、再発しないしくみを考えた上で、起きてしまったミスの修正をして欲しいわけ。
だって、そうしないと、その不具合、また発生するじゃん。

この「ウワベだけ繕って、後はどうなろうと知ったこっちゃなくて、なんなら、次の発生は自分がいなくなってからになることを祈ることすらしない」みたいな超短絡的な対応をする人が増えてるのには原因があると思っている。
この手の問題は日本の小学校や中学校における教育に問題の根源があるというのが持論。

あろうことか、多くの教師たちや一部の親達が、ノートに書かれた「間違えた答え」を消しゴムで消させて、正しい答だけを書かせるということをしているようだ。
娘が小学生だった頃の担任でもそういう人が何人かいた。

そういう指示された子どもたちは、「正しいアウトプット以外は即刻消し去り、正しいものだけを残す」ことを正しいことと誤解する。
なぜ間違ったのか、どこで間違ったのか、ということを検証することを教えられずに学校生活を終えてくる。
言い換えれば、生徒全員のノートは正解で埋め尽くされているが、教師たちも親でさえ、子供ひとりひとりの理解度など把握できるはずもなく、正解を書き写す時に自力で検証しなかった子どもたちは理解が追いつかないままになる。
理解などしてなくても、ノートに正解が書いてあればそれでOKと子供たちは思うようになっているわけだ。
理解することがだいじではなく、正しいことが書いてあるアウトプットがあれば、それで満点回答と誤解すると思われる。

結果、理解しないまま正解を写す子供達が大きくなって仕事を始めて、そこでミスを指摘されると大急ぎで正解を探し出し、それで書き換える。中身を理解しないままに。

プログラマになった子たちは、バグも同じように直す。ネットで見つけた類似コードをコピペすることで対応完了にする。テストなんてしない。もとのバグもそうやって埋めたにも関わらず。

自分の話になるが、うちの娘に算数や数学を教えるようになった時、まず、消しゴムを使わないように言った。
ノートはいくらでも贅沢に使っていいから、全て消さずにおいておきなさい、と。そうすると、後から質問された時も残った記録から彼女がどこでつまずいているか、に到達するのが早かったし、何より、本人が自分が残したものをみるようになって、自己解決するケースが増え、サポートの要請が減ったように思う。

あとね、どうせ消すからって途中経過とか計算を書くと、汚く書いて写し間違いとかが発生して結果、ミスが増える。
全部ずっと残ると思うと簡単な筆算も途中のメモも後から見直せるように書くからきれいに残る。結果として理解も進みやすいし、ミスも減る。
これから勉強をする子供のいるパパママはノートは潤沢に与え、消しゴムはテストの時だけにして、全ての途中経過と間違えた履歴を残すようにするべき。

間違えることは最高のヒントであり、チャンス。
それを繰り返すのが一番いけてないことと教えてあげてください。

(時事) 「わたスキ」改めて観るなど

いやあ、バブル入社のお父さんです。
以前、CL Carsというblogサイトへ掲載された「クルマでスキーに行くのが、
最高にカッコ良かったあの頃
」という記事が結構バズったので、思い入れがあって、急に寒くなったので「私をスキーに連れていって」を改めて観るなど。

この映画は1987年公開でまさに携帯電話が浸透する直前ということで、当時の若者の文化をよく表現しているが、実は現在の若者にも通じるエピソードが散りばめてあって、興味深い。当然、当時ならでは、というエピソードもたくさんある。

亡くなってしまった俳優さんの沖田浩之さんが要所要所で写真を撮るわけだが、そのタイミングは今の若者が今の携帯電話で写真を撮るのと似たタイミングなのがわかる。「とりあえず」という決まり文句をつけて撮るあたり、平成の現代でも通用するとおっさんは思ってしまう。

逆に当時ならではというと、まずはPCというかワープロ?


8インチFDドライブを備えるこのマシンはNECのN5200の一点読み。
主人公の三上博史さんは商社マンの設定だが、彼のデスクにはPCはなく、紙になにか書いて書類を作っていた。できあがったらしく、
上司にそれを渡すが、上司は「ちゃんと検算したか?」と確認する。
エクセルがなかった頃のビジネスシーンだ。今なら、エクセルをメールに添付して送る、ということになるが、当時は紙だ。
正しくエクセルを表計算ソフトとして使っていれば検算いらないよねw。
しかも、この商社、オフィスのどこでもタバコが吸えるらしい。
これも当時ならではだ。
携帯がないから、待ち合わせの店の公衆電話から会社へ電話。
しかもダイヤル電話だぜ(懐)

そして「凍ってるね」に代表される車関係もネタ満載だ。

スキー的には懐かしかったのがこれ。学生時代によくやってた。

でも、これはやらなかった。

そんなわけで、今みてもまったく色あせないキラキラしたあの頃を思い出して焼酎をちびちびやるのに最適でござるよ。